せん妄を知る【カイゴのゴカイ 17】
介護のゴカイ
せん妄とは意識の混乱のこと
超高齢社会になり、人口の3割もが高齢者になると、高齢者特有の病気が増えてくるし、注目される。
その代表が認知症だろう。
85歳になると4割が、90歳になると6割が、テストをすると認知症と診断される。
骨粗しょう症なども、歳を取るほど増えるので、昔と比べて当たり前に知られるようになってきたし、薬を飲む人も増えている。
その中で、意外に知られていないのが、以前にも少し紹介したせん妄と言われるものだ。
これは、病的な状態ではあるが、時間が経つと治まることが多いので、病名と言えないかもしれない。しかしながら、高齢になると増える状態であることは確かだ。
たとえば、親を入院させたら、「テレビから天皇陛下が出てきて声をかけてくれた」とか、「天井中、ゴキブリだらけなので、なんとかしてくれ」とか言って大声で叫びまわったりすると、入院して、その親はボケてしまったと思うかもしれない。
しかし、多くの場合、数時間もしないうちにそれが治まって、もとのように普通に会話ができる。そして、通常は、その時のことを覚えていない。
このせん妄というのは、身体に負担がかかったときに生じる意識の混乱のことをいう。
せん妄は起きているのに夢をみているような状態
横浜市民病院のHPによると「入院患者さんの2~3割に起こり、高齢者、特に認知症を合併している方はさらに生じやすい」とされている。
歳をとるほど、とくに認知症などになって、脳が弱ってくると、身体に負担がかかると脳の働きが悪くなることがある。これによって、寝とぼけたような状態、起きているのに悪夢や夢をみているような状態になることがせん妄だ。
身体への負担というのは、脱水とか感染とか発熱とか貧血とかもあるが、薬を新しく始めた時や、何種類も飲んでいるときなどは、これも脳への負担になってせん妄を起こすことがある。
入院のような環境の変化は、せん妄の原因になることが多いのだが、風邪をひいたときや薬を飲んでいるために、家の中で起こることも高齢者だとそんなに珍しいことではない。
そこで、家族が慌てて認知症になったと思って医者に連れて行くとせん妄の診断を受け、薬を変えてもらったり、それをやめたり、しばらく安静にしていると落ち着くものだ。
運転中のせん妄と薬の副作用
これが家で起きる分には、ボケたと勘違いされるだけで済むが、運転中に起きると大事故につながりかねない。とくにせん妄では、怖い夢のようなものを見ることが多いため、化け物に追いかけられているように感じて、そこから逃げようとアクセルを踏み続けるなどということは十分考えられる。
ふだんは安全運転の人が暴走し、そのときのことを覚えていないとしたら、我々のように高齢者をふだん見ている医者ならまずせん妄を疑う。この手の事故の解説をテレビでする医者が何人かいたが、高齢の危険ばかりを問題にしてせん妄に言及しないのには、私は驚きを禁じ得なかった。こんなことも知らないで医者をよくやっていられるものだと思ったものだ。
いずれにせよ、このようなせん妄の副作用が多い、つまり、それを飲むとせん妄を起こしやすい薬は、運転禁止薬に指定されている。
入院などの環境の変化でもせん妄は起こる
環境の変化でも起こることは多い。
急に入院して、家の様子と違っていたり、施設に入れて、元に住んでいた環境と違ったりすると、脳が急に混乱して、このせん妄を起こす。
地震などの避難生活でも、高齢者の場合、急に環境を変えると、せん妄が起こってもおかしくない。
入院したり、引っ越したりして、急にボケたとかいう場合、実はせん妄であることがほとんどだろうし、その後は元に戻ることは珍しくない。
さて、あまりにおかしな話をしたり、見えない虫がたくさんいると大騒ぎしたりするので、このようなせん妄を起こすと急に認知症になったと誤解されることが多いわけだが、いくつかの点で明確に認知症と違う点がある。
一つは、認知症というのは原則的に脳が少しずつ変性したり、委縮したりする病気なので、急に起こることはない。ちょっとずつ進行するのが原則で、ある日突然ボケたようになったとしたら、別の病気、通常はせん妄を考えたほうがいい。
せん妄と認知症の違い
そして、意外に知られていないことだが、認知症では激しい幻覚や妄想が出ることはそんなにない。もちろん、レビー小体型認知症のように幻覚や妄想が出やすい認知症もあるが、通常の認知症では、物忘れや場所に関する見当識というのが障害されて迷子になったりするし、もっと進んでくると人の話がわからなくなったりするが、とくに幻覚はそんなに出る症状ではない。
ただし、認知症の人が脳が弱っているので、たとえば薬の副作用や熱を出したときにせん妄を起こすことは少なくない。しかしながら、せん妄が治まると幻覚などは見えなくなるし、ボケ症状もかなり改善するものだ。
それともう一つの特徴は、症状が短時間のうちにころころ変わることだ。
ひどい幻覚が現れたり、ひどい興奮状態で大声で騒ぎまくったりするかと思うと、数時間のうちに落ち着いて元の状態に戻る。治ったと思って安心していたら、また夜になると大騒ぎするというようなパターンが珍しくない。
そういう点で、きちんと様子を見ていたら、認知症とせん妄を誤診することはまずないのだが、あまりに症状が派手なので、周囲の人間からみると急にひどいボケ状態になったと思ってしまうのだ。
認知症と誤診されやすいせん妄
そういう意味で、高齢者を抱える家族や、高齢者を診る医者には、せん妄という状態をぜひ知ってもらいたい。外科系の医者はよく経験するので(手術後のせん妄は5人に一人くらい生じるとされている)、それほど慌てないが、内科の医者では、まだ認知症だと誤診する医者もいるのは確かだ。
池袋や福島の事故のようにふだん安全運転をする人が急に暴走するような事故で、運転者が絶対にせん妄だったとは言わないが、せん妄の可能性を指摘する声がほとんど出ないということは、医者の間でもこの知識が共有されていないことを痛感する。
ちなみに、池袋の事故では事故の4か月前からパーキンソン症候群の可能性があると診断されて治療を受けていたと報じられている。
パーキンソン病やパーキンソン症候群の薬は、せん妄を起こしやすい薬の代表格で運転禁止薬にも指定されている。そんなことも知らないで、高齢者を治療する医者が多いことは恐ろしいことだ。
せん妄は治療できる
さて、せん妄は、ある種の意識障害(身体は起きているが、脳が寝とぼけている状態)なので、多くの場合、放っておいても治るのだが、なかなか治らないで本当にボケたと心配されることがある。
その場合は、実は治療できることも知ってほしい。
まず幻覚や妄想、興奮については、比較的薬がよく効く。
効きすぎて、一日中、うつらうつらしないようにして、幻覚や興奮が治まったら、少しずつ薬を減らしていくのが原則だ。用心のためと、この手の強い薬をずっと続けていたら、活動性が落ちて要介護状態になりかねないのでご用心だ。
熱や感染症でせん妄を起こしている場合は、それが治るとせん妄が治まることも多い。
熱で頭がボンヤリすることは若い人でも起こることだが、高齢者の場合はせん妄になってしまう。
また肺炎などの血中の酸素濃度が減ると、やはりせん妄の原因になる。
こういう場合、熱が下がって、肺の具合がよくなるとせん妄が治まるのだ。
ついでにいうと、私の経験では痛い病気の場合、せん妄が起こることが多い。
心筋梗塞や大腿骨頸部骨折で痛みが激しい時に、せん妄が往々にして起こるのだが、鎮痛剤などで痛みが治まるとせん妄も治まるものだ。
せん妄は安心できる環境で治まることが珍しくない
あとは、環境の保全である。
入院中にかなりひどいせん妄状態だった患者さんが家に帰るとケロッとしていることは珍しくない。
自分がよく知っている環境下では通常はせん妄が治まるものだ。
安心感というのも大切だ。せん妄になると激しい不安状態になるのだが、不安が強いとせん妄が起きやすくなるのは確かだ。
家族がそばにいてあげるようにするだけでせん妄が治まることも珍しくない。
せん妄の患者さんに、その幻覚を否定する(「虫なんかいないじゃないの」)とかえって不安が強まり、せん妄がひどくなることが多い。
本人にしてみたら、その幻覚が見えているのだから、怖いのは当たり前なのだと受け入れてあげて、その上で、「そばにいるから大丈夫」と安心感を与えてあげるのが得策だろう。
せん妄を知り必要以上に慌てないこと
脳が老化するほどせん妄を起こしやすいのだから、高齢者が増えるほどせん妄が起こりやすいのは当たり前のことだ。
ましてや、世界的に見て、例外と言えるほど、高齢者にたくさんの薬を出す日本では、よけいにそうだろう。実際、欧米の先進国では、高齢者の暴走運転はほとんど問題になっていない。
しかしながら、なんども言うが、高齢者の暴走事故について、ほとんどせん妄を疑う人が(医者でさえ)いないくらい、せん妄は一般に知られていない。
せめて、このコラムの読者の方だけでも、せん妄というものがあるのだということを知っていただいて、必要以上に慌てず、患者さんをボケ扱いしないでほしいというのが著者の真意である。
著者
和田 秀樹(わだ ひでき)
国際医療福祉大学特任教授、川崎幸病院顧問、一橋大学・東京医科歯科大学非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長。
1960年大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科、老人科、神経内科にて研修、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデント、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、高齢者専門の総合病院である浴風会病院の精神科医師を歴任。
著書に「80歳の壁(幻冬舎新書)」、「70歳が老化の分かれ道(詩想社新書)」、「うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ(講談社+α新書)(樋口恵子共著)」、「65歳からおとずれる 老人性うつの壁(毎日が発見)」など多数。
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