老人介護は日本の美風か【カイゴのゴカイ 18】

 

介護のゴカイ

老人介護は日本の美風か【カイゴのゴカイ 18】

古い価値観や義務感が看護の負担に

この介護の誤解についての連載は、私の高齢者専門の精神科医としての実感として、介護が大変だと思っている人がそれだけ多いという理由で行っている。
介護を少しでも楽にするとか、認知症や介護される側の実態を知ってほしいとか、あるいは、なるべく要介護状態にならないためにはどうすればいいかなどを書いてきたわけだ。
もう一つ、私が感じているのは、日本人の多くがまじめな国民性もあいまって、古い価値観や義務感に縛られているということだ。
それが介護の負担感を増しているのだろう。
以前、亀井静香氏が自民党の政調会長だった頃、「子が親の介護をすることが日本の美風」と発言したことがあった。
これは、かなりの事実誤認があると私は考えている。

戦前の日本人の平均寿命と感染症

一つには、日本の美風とあるが、日本という国は戦前まではむしろ短命の国だったということがある。
日本人の平均寿命が50歳を超えたのは戦後の話である。
もちろん平均寿命というのは乳幼児死亡率が高いと、それが大きく足を引っ張るし、若いころに死ぬ人が多くても低くなる。
だから、歴史上の人物を見てもわかるように長寿の人は日本でも確かにいた。
それでも、大正時代に80歳まで生きる人は3%くらいしかいなかった
今は男性の約半分、女性の8割近くが80歳以上生きる。
さて、昔の日本(美風という以上、戦前だけでなく、江戸時代なども含まないといけないだろう)で長生きできたのはどんな人だろう。
かつては人々の命を年寄りになる前に奪っていたのは、結核をはじめとする感染症だった。風邪をこじらせて肺炎になっても抗生物質がない頃は当たり前に死んでいた。

免疫力と栄養価の高い食材

さて、抗生物質がない時代に感染症にかからなかったり、抗生物質なしに自然治癒する重要な条件が免疫力である。
風邪だってこじらせなければ治るのは自分の免疫力のおかげだ。
治療薬やワクチンがなかった頃のコロナも免疫力が高ければ治った。
その免疫力が高い条件となるのは、実は栄養である。
結核の治療薬がなかった頃、当時は高価だった卵を食べれば治るとか、よくなるとされていたのは、栄養価が高く、免疫細胞の材料となるコレステロールが当時のほかの日本の食材ではほとんど含まれていなかったのに、たっぷり含まれていたからだ。
栄養状態がいい人の方が免疫力が高いようで、現在でもやせ形の人よりやや太めの人のほうが男女とも約7年長生きするという5万人規模の大規模調査結果がある。
昔は原則的に食糧難が当たり前だった。今よりはるかに出生率が高かったのに、江戸時代は日本の人口は約3000万人で推移していたのは、そのためだといわれる。今の北朝鮮と同じような状態だったのだろう。
おそらく、この時代に長生きできたのは、栄養状態のよい人だということになる。

衛生状態がいいことも昔の長生きの条件

感染症が長生きの阻害要因だとすれば、もう一つの条件は、衛生状態がいいことだ。
衛生状態がいい環境にいれば、感染症のリスクは下がる。コロナ禍の際には、みんながマスクや手洗いをし、テーブルなどのアルコール消毒を徹底したら、その年には大幅にインフルエンザが減ったことでもわかるだろう。
ということで、昔は長生きするためには栄養状態と衛生状態がよくないといけなかった
これはどういう家かというと、富裕層だということだ。
さて、今でこそ、少子化が問題になっているが、昔の日本は子だくさんだった。ところが、そういう子供たちが運よく成人した際に、とくに女の子には十分な働き口がなかった。
ということで、そういう人たちが、人身売買のような形で娼婦になることもあったし、戦前はからゆきさんとか言って海外に売り飛ばされることさえあった。
ただ、おそらくはそれより多かったのは、家政婦として働き、ある時期がくれば、それに見合った人と結婚することだったのだろう。こういう場合、通いでなく、通常は住み込みの家政婦だった。
いずれにせよ、昭和40年代初頭くらいまでは、中流以上の家庭には当たり前にお手伝いさんがいたし、富裕層なら、それが複数いた。
私が子どもの頃にみた特撮テレビドラマに『コメットさん』(昭和42年放送)というのがあるが、普通のサラリーマン家庭(大学教授ということになっているが)に若い住み込みのお手伝いさんのコメットさんがいるのは全く違和感がなかった気がする。
いずれにせよ、戦後のまだ日本が貧しいころまでは、介護が必要なほど長生きできるのは富裕層だけで、そういう家にはお手伝いさん(通常は住み込み)がいるから、家族介護(嫁介護、娘介護)などというのは、ほとんど必要がなかったのだ。

長期の寝たきりがなかったから長期の介護が不要だった

確かに恍惚の人で問題になったように認知症の場合は、その症状が出てから亡くなるまで数年間の介護が必要だが、脳卒中の後遺症などで寝たきりになった場合の介護はそれほど長いものでなかった。
抗生物質が当たり前に使えるようになるまで、寝たきりで褥瘡(いわゆる床ずれ)ができて、そこが化膿したりすると、その感染症で亡くなるのは当たり前だった。長期の寝たきりがないから長期の介護は不要だ。
認知症の場合は、お手伝いさんだけでなく、使用人などを使って、一緒に散歩に行くというような具合だっただろうから、介護の苦労はそれほどなかった。
団塊の世代が成人する昭和40年代の半ばくらいまでは、このような形で家政婦の供給は、少なくとも中流以上の家庭にはあったわけだが、その後は子どもの数が減ってくる上に、高度成長期で女性も含めて働き口が大幅に増えたので、当たり前にお手伝いさんを雇うことはできなくなった。富裕層であればまだ可能だったのだろうが、一般家庭では難しくなる。

高齢者の長生きと老人病院

昭和45年に日本の高齢化率が7%となり、日本は高齢化社会を迎えるのだが、その頃になると富裕層でなくても長生きする人が出てくる。
さらに昭和44年に当時の美濃部都知事が老人医療費を無料化し、さらに48年に国レベルで老人医療費を無料化したことがあって、日本の高齢者医療は世界のトップレベルになり、高齢者の長生きが当たり前のようになっていく
ところが人間というのは長生きするほど要介護の確率は高くなる。たとえば85歳まで生きると半数の人が要介護認定を受け、4割の人がテストをすると認知症の診断を受ける。
こうして、この頃からお手伝いさんがいなくなるのに、介護の必要のある高齢者が激増する。
それを救ったのが老人病院と言われる病院だ。
本来はリハビリなどが目的なのだが、脳卒中で入院した後、麻痺が残っていたり、認知症になったり、在宅介護が必要なような状態になった際に、長期入院をさせてくれる病院である。
実は亡くなるまで入院させてくれることが多かったのだが、私もアルバイトに行ったり、見学に行ったりしたが、まさにひどい病院が多い。10人部屋とかひどい時には20人部屋で、賄い婦さんと呼ばれる人が食事を食べさせるのだが、2,3時間かかる。要するに最後に当たると3時間くらい食べられないのだ。オムツも一日に1回とか2回くらいしか変えてくれない。
今の老人ホームと比べると明らかに劣悪な環境なのだが、保険が利くので安い上に、当時の(今でもそういうところがあるかもしれないが)日本人には「親を老人ホームに入居してもらった」というと介護放棄のように思われるのに、「親が入院しています」というと世間体もいいので、便利に使われた。

介護保険のメリットと無理のない介護

ということで、「子が親の介護をすることが日本の美風」というのは、まったく事実に即しておらず、むしろそういう伝統はこのころまではほとんどなかったということです。
ところが、さすがに国も財政的に厳しくなり、90年代半ばくらいには、さまざまな規制が加わったり、病床削減の方向に向かったため、そんなに簡単にこの老人病院に入れなくなった。
それなのに、要介護高齢者は増える一方ですし、それを支える子世代の数がへっていく。
これを救うために介護保険が2000年にできたわけです。
ただし、入居施設である特別養護老人ホームはまだまだ全然足りていないのが実情である。もちろん、ホームヘルパーにきてもらったり、昼間の間、デイサービスに預けることができたり、あるいは短期間、ショートステイで預かってもらえるようになっただけでも、かなりの進歩だが、家族が本格的に疲弊していたり、夫婦ともに職をもっている場合などは、やはり介護施設が必要だ。
実は、介護保険にはもう一つ大きなメリットがある。
要介護状態の人が介護付きの有料老人ホームに入居する場合、一定の条件を満たせば、介護保険から介護費用が月額25万円ほどおりる(要介護度や自己負担割合にもよるが)。
それによって、介護保険の施行前には介護付きの有料老人ホームに入居するには月額50万円くらいするところが当たり前にあったのが、半額くらいになっている。
介護を自宅で家族でやることは日本の美風でも何でもない。
そんな言葉に惑わされず、無理のない介護をして共倒れにならないようにしたいものだ。

著者

和田 秀樹(わだ ひでき)

国際医療福祉大学特任教授、川崎幸病院顧問、一橋大学・東京医科歯科大学非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長。

1960年大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科、老人科、神経内科にて研修、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデント、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、高齢者専門の総合病院である浴風会病院の精神科医師を歴任。

著書に「80歳の壁(幻冬舎新書)」、「70歳が老化の分かれ道(詩想社新書)」、「うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ(講談社+α新書)(樋口恵子共著)」、「65歳からおとずれる 老人性うつの壁(毎日が発見)」など多数。

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