【和田秀樹コラム】孤独死を考える|「80歳の壁」著者が語る「介護の誤解」vol.40

孤独死の定義と現状
独居高齢者が増え続けている。 2024年の国民生活基礎調査によると高齢者のいる世帯は2760万世帯。 そのうち単独世帯(つまり、独居高齢者)は32.7%。 ついに夫婦のみの世帯31.8%を越えた。 独居高齢者につきものの問題が孤独死だ。 内閣府の定義では、「誰にも看取られることなく息を引き取り、その後相当期間放置されるような悲惨な孤立死」のことを孤独死ということになっている。 相当期間というのがどのくらいかははっきり定義されていないが日本少額短期保険協会の「第8回孤独死現状レポート」によると亡くなってから発見されるまでの平均日数は18日とされるから、大体、亡くなって2週間も放置されれば孤独死ということになるのだろう。 これは非常に痛ましい状態とされ、これを防がないといけないというのが常識になっているし、多くの人は孤独死だけは避けたいと思っていることだろう。
「ピンピンコロリ」との意外な共通点
実は、私はいくつかの点で、孤独死がそれほど悲惨なものとは考えていないし、現時点で独居高齢者(2025年に私は65歳になった)である私自身が覚悟していることでもある。 一つには、介護保険の始まって以来、要介護状態となった高齢者は何らかの形で人と接点をもつことがある。 ヘルパーさんが定期的に訪ねてくるだろうし、デイサービスなどを利用している場合も原則的に迎えがくる。 確かに亡くなって2,3日放置されることはあるかもしれないが、「相当期間放置される」ということはない。 要するに孤独死というのは、元気な高齢者、少なくとも要介護や要支援でない自立高齢者が、心筋梗塞や脳卒中で突然死するケースが大多数ということになる。 最近、あまり使われなくなったが、いわゆる「ピンピンコロリ」で亡くなったということだ。 ピンピンコロリに憧れておいて、孤独死は嫌というのは、矛盾だとしか思えない。
孤独よりも「うつ病」の放置がリスク
確かに、孤独死の中には自殺というものもある。 孤独死者の死因では、原因不明を除けば、病死に次いで多いのが自殺で、男性10.2%、女性16.3%を占めるという統計がある。 一般の死因の中での自殺の割合は男性2%程度、女性1%程度なのでかなり高い。 ただ、これにしても家族と同居している高齢者のほうが独居高齢者より自殺率が高いことも知られている。 孤独であることより、家族に迷惑をかけているというような罪悪感のほうが人を鬱にし、自殺に追いやるのも事実だ。 私は精神科医なので、自殺がいい死に方とは思わない。 だから避けるに越したことはない。 でも、自殺を避けるために人と一緒にいるというのは有効な手段ではないのだ。 それよりはちょっと鬱な気分になった際に早めに精神科医に行く方が賢明だ。 実際、新潟の松之山町というところで医療が介入して自殺予防活動を行ったら高齢者の自殺が7割も減ったという事例がある。 孤独よりうつ病を放っておく方がよほど自殺の原因なのだ。
日本人に根付く「孤独恐怖」の呪縛
この孤独死が悲惨だとか、かわいそう、そうはなりたくないと思われる背景には、日本人が孤独はいけないことだ、哀しいことだと思う心理や家族に見守られて死ぬのが幸せという思い込みがあるのだろう。 これだけ独居の高齢者が増えているわけだが、日本人は涙ぐましい独居を避ける努力をしている。 熟年離婚は増えているとはいえ、本当はそれほど相性がよくない夫婦が離婚しない理由の一つに、孤独を避ける、添い遂げてもらいたいという意識があるのだろう。 一緒に食事をしていても会話が弾まない、旅行にいっても楽しくないという場合、それが残りの人生でずっと続くことを考えれば、本当はパートナーを変えた方が残りの人生が幸せなものになる可能性は高い。 でも、孤独になり得るリスクもある。 そのリスクを避けたいので、あえて離婚はしないのだろう。 あるいは、子どもに嫌われたくないということも同様だ。 夫なり妻なりに先立たれて、その後に仲がよくなった人が現われて再婚しようという話になった場合、たまたま不動産であれ預貯金であれそれなりの財産があると子どもたちが反対することがある。 本当は離れて住む子どもより、その人と同居してもらう方が孤独のリスクが下がるはずなのに、死ぬときに子どもに看取られたいと思うためなのか、いずれにせよ子どもに嫌われたくないために、その反対に応じて、結婚を断念することはよく聞く話だ。 そういう意味で不本意な残りの人生を送ることになっても、孤独を怖がる人がそれだけ多いということなのだろう。
同調圧力から抜け出し、自由に生きる
日本人は孤独を怖がるどころか、人に嫌われることも怖がるので、同調圧力にも弱い。 みんなに合わせないで仲間はずれにされるくらいなら、自分の考えを封印する方がましと思っているのだろう。 孤高の人という言葉があるが、人にどう思われようが、孤独になろうが、それを意に介せず自分を貫き通す人に対して向けられる言葉だが、そうなれない人が多いから、この言葉を使うような気がしてならない。 孤独とか仲間はずれを恐れていては生きたいように生きるのは難しい。 こういう背景もあって孤独を好む人も一定数いる。 実は私もその一人だ。 離婚して65歳になり、独居高齢者の仲間入りをしたが、やはり一人のほうが楽なのだ。 もっと歳を取ると孤独に感じるのかもしれないが、今はそれがない。 多くの人に見守られて死にたいと思うこともない。 ごく少ない親友が見舞いにきてくれて、人生の最後に言いたいことが言える方がはるかに心残りがない気がする。 それがなかったとしても、一人でひっそり死んでいくのも悪くないと思っている。 人間というのは最終的に一人で死んでいくものだと思っているからだ。
自分らしく最期を迎えるための選択
孤独死を避けたいのなら、家族に遠慮して無理に一緒に暮らすより、老人ホームに入る方がよほどいい。 死の発見が遅れることもあるのだろうが、せいぜい一晩だ。 病院で死ぬより、自宅で死にたいという人が増えているそうだが、病院よりはるかに制約が少ないのは確かだ。 最後は老人ホームでとか、最後は施設でとか思っていれば、それほど周囲に遠慮することはなくなる。 そして、私のように孤独死でいいと思っているなら、最後まで独居で暮らし、好き放題に生きて、なんかの病気でぽっくり死ぬという選択肢もある。 孤独恐怖に振り回されるよりは、生きたいように生きて、最後に頼れる老人ホームを探しておいたり、開き直って好きに生きる方が、はるかに自分を殺さずに生きられる。 そして、定年などになって会社の上司とか煩わしい人間関係から自由になったのなら、やっと自由に生きられると思った方が残りの人生が充実するだろう。 そのために邪魔になるのが孤独恐怖だと私は考えている。 せっかく様々なしがらみから自由になれたのに、家族や元会社の同僚やあるいは同窓会で会うように人に嫌われたくない、仲間はずれになりたくないと思えば、あっという間に自由は吹き飛んでしまう。
死生観の転換:孤独死は怖くない
人間死ぬときというのは、ほとんどの場合で意識がなくなっている。 人がいようがいまいが実はわからないのだ。 そして死んでから発見されるまでの間に時間がかかったとしても、どうせ自分は死んでいるのだから、寂しいと感じるわけがない。 そう思えれば孤独死だって怖くないことがわかるだろう。 もちろんとても家族運に恵まれ、配偶者とラブラブだったり、子どもたちが成人後も、結婚後もなついてくれる、孫も可愛いというのだったら、それは素敵なことだ。 ただし、それは自然にそうなった場合の話であって、いろいろな我慢や無理の結果であれば、自分の気持ちのほうを大事にした方が、老後は充実するだろう。 みんなと仲良くしなさいとか、孤独死は悲惨だとかいうのは、社会の側からの押しつけと言っていい。 子どもの頃からそれを押しつけられて、仲間はずれにされるのをビビる子どもが増えているという。 ひどい場合は、それを苦に自殺することさえあるらしい。 今のいじめはかつてのように暴力的なものでなく、この手の仲間はずれだそうだ。 そのような呪縛を大人になってまで背負うことはない。 孤独死がいいとはいうつもりはないが、生きたいように生きるために孤独も悪くないし、孤独死という選択肢もあるとは考えていいだろうし、避けたくても物理的に避けられないような時代になっていることも覚悟しておく方が賢明だ。
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