高齢者の個人差を知る【介護のゴカイ 34】

若い人より大きい、高齢者の「個人差」
高齢者問題を考える際に見落とされているのは、個人差の問題だ。
一つ声を大にして言いたいのは、高齢者はとても個人差が大きいということだ。つまり、若い人と比べて高齢者のほうが個人差が大きいのだ。
子ども時代、自分には太刀打ちできないほど勉強ができる人間とか、スポーツができる人とかを見てものすごい差を感じた人がいるかもしれない。
逆に、とんでもないバカとか、運動音痴とかの子をみてバカにしたこともあるかもしれない。
私は勉強はできたが、どうしようもない運動音痴だったので、小さいころから人間の個人差を経験してきたほうだと思う。
それでも、子供時代の個人差は意外に小さい。
知能指数ベースだと130から70の間にほとんどの人は収まる。
50メートル走だって、ものすごい速い子で6秒台、どんなに遅い子で15秒までに50メートルは走れる。
それに比べて、70代、80代の場合、重度の認知症の人なら人の話もまったく理解できない人がいるいっぽうで、現役の学者も経営者もいる。今年95歳になるウォーレン・バフェットはいまでも世界最高の投資家とされている。
身体機能にしても、寝たきりの人も大勢いるのに、フルマラソンを走れる人だっている。
要するに高齢者には個人差がものすごくあるのだ。
そこがほとんど理解されず、高齢者を一緒くたにして論じる人があまりに多い。
高齢者の運転は危ないとか、高齢者が経営のトップにいるのはおかしいとか、テレビのコメンテーターをやっている、一応、学者と名乗っている人間がこんなことを平気で言う。
高齢者がこんなに多いのに、この現状は悲惨としか言いようがないし、こんなことだから、まともな高齢者対策、高齢者施策が打ち出せないのだろう。
画一的な医療への警鐘とEBMの盲点
そんな中で、いちばん高齢者の個人差を認めていないのが医療の世界だろう。
体重が80キロある65歳の息子と、35キロしかない90歳の母親が風邪をひいたら同じ薬を同じ量出される。
どんな高齢者であっても、血圧が高ければ下げろと言い、がんは早期発見、早期治療が大切という。
これに私は違和感を禁じ得ないのだ。
日本ではほとんど行われていないが、EBMという考え方がある。
EBMとは、『Evidence-Based Medicine』の頭文字をとったもので、『(科学的)根拠に基づいた医療』と訳されることが多い。
科学的根拠というのはどういうものかというと、たとえば血圧や血糖値、コレステロール値などを薬で下がったから満足するのでなく、それによってどういう効果があったという統計学的な根拠が必要だということだ。
よくEBMの代表的なものとして挙げられるアメリカにおける有名な研究結果では、平均の最高血圧170mmHg、平均年齢72歳の人たちを、血圧を下げる薬を飲む群と偽薬を飲む群にわけて5年間のフォローアップを行い、5年間の脳卒中発症率を比べたところ、薬を飲んだ群では5.2%、飲まない群では8.2%だった。(JAMA, 1991;265(24):3255-3264)
この場合、脳卒中の発症率を大規模な比較調査で、8.2%から5.2%に下げるので、薬を使うことは根拠のある治療ということになる。
でも、私はこのデータからも個人差をつい感じてしまう。
薬を飲んで、血圧を正常にさげても5%以上の人が脳卒中になっている。
いっぽうで、将来はわからないとはいえ、薬を飲まなくとも(おそらくは血圧が下がっていなくても)9割以上の人が脳卒中になっていない。
血圧が高くなくても血管が弱いとか、そのほかの理由で脳卒中になる人がいる、逆に血圧が高いのを放置していても平気な人が大多数だ。
これが個人差というものだ。
とくに後者の場合、放置しておいても平気なのに、薬を飲まされて、肝障害などの副作用が出たり、頭がフラフラして転倒することもある。最悪の場合、頭がボーっとして、交通事故を起こすこともあり得るだろう。日本の場合、テレビ局は薬害を伝えて、スポンサーに嫌われたくないから、こういう事故を「高齢なのに運転をして事故を起こした」と断罪して、ものすごいバッシングを受けるから、周囲も含めて大きな被害を受ける。
確かに残念ながら、薬を飲んでいても脳卒中が起こる、薬を飲んでいるおかげで脳卒中にならないで済んだ、薬を飲まないで脳卒中になる、薬を飲まなくても平気だの4群を事前に予想することはできない。
ただ、薬を飲んでいるおかげで脳卒中にならないで済んだ人はわずか3%しかいない(8.2%―5.2%がこれに当たる)ことは知っておいてもいいだろう。
9割もの人が薬を飲まなくても平気なわけだが、遺伝歴で多少はヒントが得られる。
血のつながった人が誰も脳卒中になっていないのなら、血管が強い家系の可能性が高い。そういう人は下げなくても平気である可能性は9割より高くなるのだろう。
あるいは、たんぱく質をきちんと摂取している人のほうが血管が強い可能性は高い。
こういう情報をきちんと聴取してから血圧の薬の投薬をすべきなのだが、日本では、それがほとんど行われていないのが現実だ。
さらに言うと、血圧のようなものでさえ、服薬をした人としていない人の予後の大規模比較調査がない。たった一度行われたことがあるが、データの改ざんで社会問題になったのだ。(ディオバン事件と呼ばれる)
少なくとも高血圧なら血圧の薬を飲むのは当たり前と思うのでなく、日本にはきちんとしたエビデンスがないし、個人差も考えてもらえていないということは知っておいたほうがいい。
高齢者のがん治療と経験知の重要性
個人差ということで考えると、がん治療も、高齢者にとっては個人差が大きいものといえるだろう。
がんを取ることで元気になる人は確かにいるが、高齢者の場合、治療のために体力を落とす人はかなり多い。
結果的に寿命を縮めることもあるし、寿命が縮まらなくても残りの人生をかなりヨボヨボした状態で過ごすことになる人が多い。
やはり、きちんとした体力などの評価をしたうえで、予後の予想をして、「多少の延命はできるかもしれませんが、体力が落ちて、残りの人生は要介護になると思います」と正直に伝えたうえで、治療を行うべきだろう。
日本の場合、いろいろな治療についてエビデンスがないわけだが、そういう際に治療経験が役立つように思える。
「あなたの場合、血糖値が高め、コレステロール値も高めですが、栄養を十分摂ってこの体型を維持したほうが、これから先、元気でいられる気がします」
「今の体力では、がんの治療はしないほうが、これから先のことを考えるといいように思えます」
というようなことばは経験知が言わせるものだ。
私が高齢者医療について偉そうなことが言えるのも、もちろん海外のデータなどは参考にするが、これまでの高齢者医療の経験から言っているから、多少は自信を持って言えるのだ。
賢明な選択:自分の「体の声」を聞く
ただし、それはあくまでも確率的に妥当だと思うことを言っているだけで、個人差は考慮していない。
旧来型の医療のほうが合っている人もいるだろう。
そういう際にあてにしてほしいのは、自分の体の声だ。
私が主張するような薬の使い方や健康法をやってみて、体調がいいのなら、それが体の声と思って、信じて続けていいだろう。
あまり合わないようなら、これも体の声と思って、主治医のいうことを信じたらいいだろう。
もちろん、血圧を下げても、長期的な大規模比較調査をやらないと本当の長生きにつながるかどうかわからないように、今体調がいいからといって、それが将来の健康長寿につながるかどうかはわからない。
ただ、体調がいいと感じているほうが、免疫力も上がるとされているのでがんや感染症を遠ざけるし、そのほうがアクティブになれるので、脳や身体機能の老化予防にもつながるという考え方は妥当だと思う。
もちろん、人間というのは老化するものなので、今の服薬や健康法が、先々、身体に合わなくなることもありえる。
その場合は、さっさと薬や飲む量を変えてみて、別の体にあった服薬や健康法を探してみることだ。
薬の場合、歳をとるほど副作用がでやすいとされているし、歳をとるほど肝臓での分解機能が落ち、腎臓での排出機能が落ちるから体にたまりやすくなる。
今、合っている薬でも将来、合わなくなることは十分あり得るし、その場合は、変えたり、減らしたりしたほうがいいだろう。
個人差ということを考えたら、経験豊富な、それでいて臨機応変な医者にあたるか(これは探し続けたらいい)、自分自身の体の声を聞き、このくらいの血圧や血糖値や薬の量(ゼロということも多いだろう)がいちばん体調がいいというのを探すのが賢明なように私は考える。

著者
和田 秀樹(わだ ひでき)
国際医療福祉大学特任教授、川崎幸病院顧問、一橋大学・東京医科歯科大学非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長。
1960年大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科、老人科、神経内科にて研修、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデント、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、高齢者専門の総合病院である浴風会病院の精神科医師を歴任。
著書に「80歳の壁(幻冬舎新書)」、「70歳が老化の分かれ道(詩想社新書)」、「うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ(講談社+α新書)(樋口恵子共著)」、「65歳からおとずれる 老人性うつの壁(毎日が発見)」など多数。
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